※2018年2月20日 更新
どうして日本のパチンコ&パチスロ業界を支えている有名メーカーは名古屋に多いのか? ちょっと疑問に思ったので調査をしてみた。
パチンコの聖地名古屋へ到着
どこに行けばいいのか わからないので 今日は とりあえず名古屋駅に来ました
ゼロからの開拓って すごく楽しい(´・ω・`)ノ pic.twitter.com/FQxSEGCl8q
— ゆーたくん(´・ω・`)ノ@天龍VSプラス70837個@天龍VV0個@パチプロ復帰準備RT中 (@tokiotokio1000) 2017年11月11日
名古屋(愛知県)ってめっちゃパチンコメーカー多いよネ
三洋物産、京楽産業、ニューギン、サンセイR&D、奥村遊機、高尾、タイヨーエレック、豊丸産業の8社は本社が愛知県名古屋市
大一商会は本社愛知県北名古屋市
モンスターハウスで有名な竹屋は本社が愛知県春日井市
すごいよねwww— ホルモー (@hormoneharassme) 2016年8月31日
パチンコメーカーの本社を調べると、多くが名古屋に拠点を置いていることがわかった。
ほうほう、これはなかなかおもしろいまとめだ。
パチンコの起源と歴史 https://t.co/kyMl2Bcrei
— おさねこふ@電脳BAR MASTER (@tri_anchor_llc) 2017年5月8日
どうして名古屋にパチンコメーカーが多数存在しているのか? その謎を知るには日本のパチンコ史を紐解く必要がありそうだ。
1927年頃のパチンコは、いわゆる「1銭パチンコ」と呼ばれるもので、1銭銅貨を投入すると球が1発出てきて、入賞すると2~3銭が返ってくるというものでした。
しかし、現金が出てくるのは賭博的であるとして、間も無く禁止されてしまいます。
そこで今度は、1銭銅貨と同じ大きさの真鍮のメダルや、鋼球を使うタイプが出現します。景品として現金は払えないので、お菓子やタバコを出していました。
1930年には、名古屋で日本初のパチンコ店が営業許可を取得し、開業します。
店主は平野はまという女性。店といっても、自分の家の玄関先でのささやかな営業でしたが、地域の人々の好評を博しましまた。
出典:パチンコの起源と歴史
日本で初めて営業許可を取ったパチンコ店が名古屋にあった。平野はまという女性がなんと自宅の玄関先でささやかに営業していたという。彼女はいわば「パチンコの母」である。
『天の釘―現代パチンコをつくった男正村竹一』鈴木笑子(晩聲社)パチンコを文化的に扱った数少ない1冊。戦後に現代のパチンコ台の元となる「正村式パチンコ」を作り広めた人物の一生を追った渾身のドキュメント。はからずも、泣ける名著でした。#八画文化の窓 https://t.co/L9XyFw2bkR pic.twitter.com/8mB25vn7qy
— 八画文化会館 (@hakkaku_culture) 2018年2月20日
公式にキチンと営業許可を受けた戦後の第1号店は、正村竹一が1946年に名古屋で開業した「浄心遊技場」でした。
正村は戦前からパチンコ店を営んでいた為、戦後も速やかに開業できました。
この正村竹一は、現在のパチンコの基礎である「正村ゲージ」を開発した超重要人物で、今でも業界ではパチンコの父と呼ばれています。
出典:パチンコの起源と歴史
第二次世界大戦が始まる頃、パチンコは全面的に製造中止に。1946年に正村竹一氏が戦後第1号店をオープン。その場所はやはり名古屋であった。
肉肉うどんの隣のパチ屋に伝説の正村ゲージが展示してあってビビった! pic.twitter.com/5axQQP2E
— UNLIMITS_masa (@NIRMASA) 2012年12月23日
それまでのパチンコ台は、基本的に均等な間隔で盤面全体に釘が打たれていました。
これだと、球の動きもカタカタと落ちるだけの単調なものになる上、一発打っては下に落ちるまでボーッと眺めるという遊び方になり、売り上げにも限界がありました。
そこで、より刺激的でテンポの早い台を、と考案されたのが、「正村ゲージ」です。
今のパチンコ台では当たり前に見られる構造は、ほとんどがこの正村ゲージに由来します。
もし特許を取っていれば巨万の富を築き上げたであろう正村竹一ですが、特許を取らず、ライバル会社にもこの釘構成の使用を認めました。
仲間うちのことだで、皆んなで仲よう使やええがや
という彼の言葉は、今でもパチンコ業界に語り継がれています。
出典:パチンコの起源と歴史
正村竹一氏は現在のパチンコの全ての基礎となる「正村ゲージ」を考案した。ところが、爆発的ヒットにもかかわらず、特許を出願せずに誰でも自由にこの技術を使えるようにしたのである。
名古屋の直営店に先行導入された『CR哲也 玄人の頂へ』をぶちにきました!
台を見たら始発の眠気もぶっ飛んだ(きしめん) pic.twitter.com/X4Co07pMYz— パチンコ必勝本CLIMAX (@pachi_climax) 2017年9月9日
パチンコの歴史の始まりの地であり、多くのメーカーが本社を置く名古屋。メーカー直営店も多数あり、パチンカーの間では「聖地」と呼ばれている。
名古屋にパチンコメーカーが多いのは、「パチンコの母」平野はま氏によって名古屋がパチンコ店発祥の地となり、「パチンコの父」正村竹一氏が業界発展のために尽力した歴史があったのだ。