【不思議】名古屋にメーカーが多い理由をまとめてみた

2016/09/12

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  • ※2018年2月20日 更新

    kyorakusakae

    どうして日本のパチンコ&パチスロ業界を支えている有名メーカーは名古屋に多いのか? ちょっと疑問に思ったので調査をしてみた。

    名古屋に本社を置く有名メーカー

    パチンコメーカーの本社を調べると、多くが名古屋に拠点を置いていることがわかった。

    パチンコ第1号店は名古屋から

    どうして名古屋にパチンコメーカーが多数存在しているのか? その謎を知るには日本のパチンコ史を紐解く必要がありそうだ。

    1927年頃のパチンコは、いわゆる「1銭パチンコ」と呼ばれるもので、1銭銅貨を投入すると球が1発出てきて、入賞すると2~3銭が返ってくるというものでした。
    しかし、現金が出てくるのは賭博的であるとして、間も無く禁止されてしまいます。
    そこで今度は、1銭銅貨と同じ大きさの真鍮のメダルや、鋼球を使うタイプが出現します。景品として現金は払えないので、お菓子やタバコを出していました。
    1930年には、名古屋で日本初のパチンコ店が営業許可を取得し、開業します。
    店主は平野はまという女性。店といっても、自分の家の玄関先でのささやかな営業でしたが、地域の人々の好評を博しましまた。

    出典:パチンコの起源と歴史
    日本で初めて営業許可を取ったパチンコ店が名古屋にあった。平野はまという女性がなんと自宅の玄関先でささやかに営業していたという。彼女はいわば「パチンコの母」である。

    名古屋で「パチンコの父」が誕生

    公式にキチンと営業許可を受けた戦後の第1号店は、正村竹一が1946年に名古屋で開業した「浄心遊技場」でした。
    正村は戦前からパチンコ店を営んでいた為、戦後も速やかに開業できました。
    この正村竹一は、現在のパチンコの基礎である「正村ゲージ」を開発した超重要人物で、今でも業界ではパチンコの父と呼ばれています。

    出典:パチンコの起源と歴史
    第二次世界大戦が始まる頃、パチンコは全面的に製造中止に。1946年に正村竹一氏が戦後第1号店をオープン。その場所はやはり名古屋であった。

    伝説の「正村ゲージ」

    それまでのパチンコ台は、基本的に均等な間隔で盤面全体に釘が打たれていました。
    これだと、球の動きもカタカタと落ちるだけの単調なものになる上、一発打っては下に落ちるまでボーッと眺めるという遊び方になり、売り上げにも限界がありました。
    そこで、より刺激的でテンポの早い台を、と考案されたのが、「正村ゲージ」です。

    今のパチンコ台では当たり前に見られる構造は、ほとんどがこの正村ゲージに由来します。
    もし特許を取っていれば巨万の富を築き上げたであろう正村竹一ですが、特許を取らず、ライバル会社にもこの釘構成の使用を認めました。
    仲間うちのことだで、皆んなで仲よう使やええがや
    という彼の言葉は、今でもパチンコ業界に語り継がれています。

    出典:パチンコの起源と歴史
    正村竹一氏は現在のパチンコの全ての基礎となる「正村ゲージ」を考案した。ところが、爆発的ヒットにもかかわらず、特許を出願せずに誰でも自由にこの技術を使えるようにしたのである。

    そして現在

    パチンコの歴史の始まりの地であり、多くのメーカーが本社を置く名古屋。メーカー直営店も多数あり、パチンカーの間では「聖地」と呼ばれている。

     

    名古屋にパチンコメーカーが多いのは、「パチンコの母」平野はま氏によって名古屋がパチンコ店発祥の地となり、「パチンコの父」正村竹一氏が業界発展のために尽力した歴史があったのだ。

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