2025年4月25日、デックス東京ビーチ シーサイドモール4階に「お台場レトロミュージアム
」がオープンしました! 懐かしいパチンコ・スロットを含め、昭和を感じさせる様々なモノに触れて楽しめる体験型施設です。地方には「レトロ○○」といった観光施設が色々とありますが、東京の都心に登場するのはおそらくこれが初! 一体誰が、こんな面白そうなことを手掛けたのか? と思ったら、高山や湯布院の「昭和館」などを運営しているアムズグループのアール・ケイ・アミューズメント株式会社でした。P-Summa編集部でも昭和館を取材させていただきましたが、都心と地方では土地の使い方や客層も異なるはず。これは是非とも取材したい……ということで、東京進出のきっかけやパチンココーナーのこだわりなどをお台場レトロミュージアム仕掛け人の清水さんに伺います!
――本日はよろしくお願いします! 早速ですが、お台場レトロミュージアムのオープンまでの経緯をお聞かせください。
弊社は岐阜の「高山昭和館」と「飛騨高山レトロミュージアム」、大分の「湯布院昭和館」などの昭和レトロ施設を運営しています。中でも飛騨高山レトロミュージアムは、何度もテレビなどで紹介いただいたため、知名度があったんですね。そのような経緯があり、デックス東京ビーチのご担当者様から「シーサイドモールの4階で“台場一丁目商店街”という昭和レトロをコンセプトにしたフロアを作っている」「テナントとして来てもらえないか」というお誘いをいただきまして……。
――オファーがあっての出店だったんですね!
それで、何度か下見に行き、床面積など色々検討しました。そして、ビジネスの勝算がありそうと判断したため、出店を決めたわけです。
――レトロミュージアムのノウハウはすでにお持ちで、昭和レトロにもお詳しいかと思いますが、東京で出店するにあたり考えたのはどんなことですか?
「再現度(クオリティー)をどこまで引き上げるか?」を最初に考えました。飛騨高山レトロミュージアムは「遊べること」に重きを置いてあり、実は再現度はそこまで高くないんですね。一方で、昭和館は建物を丸ごと使っているため、再現度は非常に高いです。
――素人目には、どこも再現度は充分高そうに見えますが……。
リアリティーを増すために細かく作り込んだり、素材にこだわったりすると、いくらでも再現度を上げることができるんですよ。パチンココーナーに関して言えば、当時らしくシマをヤニっぽくするとか、データランプをもっと古いものにしたり、床の素材をエイジングしたタイルではなくワックスをかけた木にしたりですね。
――な、なるほど……!
また、触れる仕様だとどうしてもメンテナンスにコストがかかりますから、再現度を上げながら遊べるようにするのは大変なんです。しかし、弊社としてはお台場レトロミュージアムをきっかけに、さらに大都市圏・有名観光地に出店していきたい構えですので、決して妥協せず、昭和館の「再現」と飛騨高山レトロミュージアムの「体験」の両立を目指しました。コンセプトは「観れる、撮れる、遊べる」です。どこを撮っても映えるようにデザインし、基本的にすべての展示が触って遊べるようになっています。
――他にはどんなことを考えましたか?
下見に行って、まず感じたのが「狭い」ということでした。本当は150坪ぐらいあるといいんですけど、90坪しかないんです。そのため、狭さを感じさせずに没入感をどう演出するか? を試行錯誤しました。
――お台場レトロミュージアムにパチンココーナーを作った経緯をお聞かせください。
アムズグループの本業はパチンコホール経営ですし、他の施設でも好評ですから、パチンココーナーは絶対に作ろうと思っていました。我々はパチンコを日本の文化の一つと考えています。日本発祥の、日本にしかない大衆娯楽なんですよね。海外からのお客様やパチンコ未経験の方にも、日本独特の文化に触れて新鮮な体験をしていただくのは、大いに意義のあることです。
――ちなみに、「パチンコラッキー」って、名称の由来はあるんですか?
昔、弊社の創業社長が運営していたホールの名前が「ラッキー」だったからです。日本各地のレトロ施設で、昭和らしい街並み
を作るために色々なお店にそれっぽい名前を付けるのですが、パチンコ屋は「ラッキー」一択ですぐ決まるんですよ。
――では、パチンコラッキーの設置機種はどのように入手されましたか?
ネットで購入したり、中古機業者の方に用意していただいたりですね。パチンコ玉が台の中で循環する仕様にして設置しました。
――メンテナンスはどのようにされていますか?
我々の本業はホール業ですから、メンテナンスのノウハウはすでにあるんですね。お台場レトロミュージアムのスタッフは新規採用ですが、機械のプロがレールや盤面の清掃、部品交換、ハンドルの調整などをレクチャーし、ホールと同等のメンテナンスを行っています。でも、古い機械ですから、日々のメンテナンスをしていても動かなくなってしまうものが出てくるんですよ。そうなった際は、台の入れ替えをする予定です。
――パチンコラッキーの反響はいかがですか?
パチンコで特に人気なのは「カバ丸くん」ですね。羽根モノだからゲーム性がわかりやすくて、キャラクターもキャッチーだから触りやすいのかもしれません。スロットは「ファイナルジャグラー」がよく打たれています。「あ、ジャグラーある!」みたいな反応はよく見かけるので、知名度が高いのだと思います。
――ジャグラーって世間一般にも知られているものだったんですね……!
他の機種も、シニア世代の方は「昔これやってた」と懐かしそうにされていたり、お子様が「何これ」と不思議そうに見ていたりします。施設全体の中で、パチンコラッキーは人気コーナーの一つになりました。
――お台場レトロミュージアムの外観や内装でこだわったことをお聞かせください。
昭和40〜50年代の雰囲気を再現するため、映画のセットなどを作る東宝映像美術さんにご協力いただきました。限られた施設内で狭さを感じさせず、没入感を高めるために何度もイメージのすり合わせをして、最終的に形にしてくれたのは東宝さんというわけです。
――オープンから約2ヶ月が経ちましたが、反響はいかがですか?
ありがたいことに、大変好評です。客層は若い方が多く、カップルやグループが中心ですね。お台場という立地からすると予想通りではありました。意外だったのは、50代以上の方々がグループで来てくださることです。お台場で家族連れの中のおじいさん・おばあさんは見かけても、シニア世代の方だけのグループはあまり見かけなかったので、とても嬉しいですね。
――その方々は、どうやってお台場レトロミュージアムを知ったのでしょうか?
テレビでも紹介いただいたので、その影響だと思います。懐かしいもの見たさで来てくださるようです。飛騨高山や湯布院だと関東からは遠いですし、都心で昭和レトロを手軽に楽しめるのが大きいのかもしれません。老人ホームの利用者様が団体で予約されることもありますね。
――最後に、今後の展望をお聞かせください。
「目的来店」してもらえるのが一番の目標です。今は“お台場に来たついでに立ち寄る”ケースがメインですが、“お台場レトロミュージアムのためにお台場を訪れる”というのを目指しています。
――ご年輩のグループも見かけるとのことでしたから、早くも実現しつつありますね。
レトロミュージアムの運営はビジネスではあるんですが、昭和の文化をどれだけ形として残せるかも重要だと考えています。自治体が昭和に関する施設を運営していることもありますが、モノに触れられないことがほとんどなので、記憶に残りにくいんですよね。空間を再現し、実際に手で触れることで、初めて記憶に刻まれるのではないでしょうか。お台場はインバウンド需要も見込める立地ですから、昭和の文化を海外や未来に繋いでいきたいですね。
――これからも多くの方が楽しめるような昭和レトロ施設を残していってください! 本日はありがとうございました!!
昭和レトロは単なるビジネス上のコンテンツではなく、後世に残したい文化なのだという想いが強く伝わってくるインタビューでした。懐かしいモノに触れてみたいけど地方は遠いなと思っていた首都圏の皆さん、そして、レトロ台ファンの方々、是非ともお台場レトロミュージアムへ遊びに行ってみてください!
P-Summa編集部
【レトロパチンコ】
サーカスⅢ(1991年・三洋)
マンモスくん(1991年・ニューギン)
ザ・祭りII(1992年・三共)
カバ丸くんP-3(1992年・西陣)
フィーバーフェスティバルI(1993年・三共)
フィーバーテキサスD(1995年・大同)
【レトロスロット】
キングパルサー(2001年・山佐)
オオタコスロ2(2002年・エレコ)
ファイナルジャグラー(2006年・北電子)
ニューハナハナ30(2007年・パイオニア)
■□関連記事□■
【4号機やレトロパチンコが打てる】全国のパチンコ・スロゲーセンまとめ