※2017年12月13日 更新
非常に複雑なシステムを搭載し、アニメ等とのタイアップ機も豊富なパチスロ。その起源や歴史はどのようなものなのだろうか?
ラスベガスにつきました
ついた瞬間スロットマシンがあってラスベガス来たって感じする! pic.twitter.com/15cDUOmMNG— えびンモ (@ebihuryahurya) 2017年11月8日
スロットマシンは、1905年サンフランシスコで発明されたと言われています。発明者はドイツのバイエルンからアメリカへの移民であるチャールズフレイという人です。最初のモデルは「自由の鐘」と名づけられ、リノの「自由の鐘」サロンというところに今でも飾られているそうです。
日本では、まず、アメリカのスロットマシンが沖縄に持ち込まれ、ギャンブル機(景品と交換可能)として稼働していました。
『ハナハナ』や『シオサイ』など沖スロの聖地、沖縄。そこがスロットマシンの上陸地点だったのである。
唯一目押しが必要な出目。残りリールに弁当狙ってくださいな pic.twitter.com/Cj7PqAou6G
— 辻ヤスシ (@t_yasushi007) 2014, 9月 7
この頃のマシンは、目押しで絵柄を揃えることが可能でした。ただ、今と違い、リール回転が異常に早くて、普通の人にはとても目押しできるレベルじゃなかったそうです。
また、目押しできたとしても、当時はメダル1枚の料金が10円で、しかも100枚程度で打ち止めとなる、のどかな時代でしたので、荒稼ぎできるほどではありませんでした。(当時の目押し職人・談)
進駐軍払い下げのスロットマシンは警察庁から「賭博機」と見なされ、公式な営業許可は出されていなかった。初めて営業許可を受けたのはセガの『オリンピア・スター』である。東京オリンピックの1964年(昭和39年)に登場したことからこの名が与えられた。
警察庁が旧来のマシンを「賭博機」と見なしたのは「技術介入の余地が乏しい」から。『オリンピア』には技術介入の要素が取り入れられたのである。
オリンピアは、1ゲームの料金はトークンは1枚でペイラインは1つ、ボーナスゲームが当たっても、獲得できるトークンは最高でも僅か85枚(しかも初期型にはこのフィーチャーが無かった)でしたが、この新製品は、1ゲームにトークン3枚がベットでき、ペイラインも5つに増えていました。また、ボーナスゲームも、一旦そのモードに入ったら打ち止めまで一直線というものだったそうです。
1977年(昭和52年)、マックス商事(現・バルテック)の『ジェミニ』が、現在の基本仕様である「3メダル5ライン式マシン」の元祖として登場した。
まったりニューパル打ってます。 今日のLOVEビック確目っす(#^.^#) pic.twitter.com/mgjQwsOWGt
— チケラッチョ+ (@slostar) 2014, 8月 10
1980年(昭和55年)、現在の箱型筐体の元祖として、尚球社の『パチスロパルサー』が登場。『パルサー』は今も続くロングシリーズである。
リーチ目」の概念を生んだのもこの『パルサー』。リーチ目こそパチスロの醍醐味と考える打ち手は今も多い。
久しぶりにこの間スロットやったけど、五号機も楽しくなったね 勝てたかって聞かれたら っち… pic.twitter.com/H8xCKiBHYB
— かずぽこちん(ポンコツハメ太郎) (@_kazupokotin_) 2013年3月7日
Ⅱ 1号機 1985年(昭和60年)回胴式遊技機(パチスロの正式名)を保通協の検査に合格し型式認定を受けた1号機が登場します連荘させるや当り易いように確率を変えるなど改造盤が多く、メーカーの欠陥などで数多い攻略法がありました。
1985年(昭和60年)に施行された新風営法の中で、初めてパチスロが「回胴式遊技機」として言及された。この規定に基づいて作られたのが「1号機」である。
その後、少しずつ規制が厳しくなっていき、現在稼働しているのがご存知「5号機」で、規制が厳しくなったとは言え、今でも十分、爆発力はは期待できる。
起源「自由の鐘」から数えれば既に100年以上が経過している。全てのエンターテイメントに起源があるように、スロットも人類が生み出した文化の一つと言えよう。