パチンコとスロットが趣味の一つだという内山さん。
旅打ちをしたり、ノリ打ちをしたり…と充実したパチ&スロライフを送っているようだ。今回は、内山さんのパチ&スロライフに秘められた出来事を紹介していく。
―パチンコデビューはいつですか?
パチンコの出会いから武勇伝があるというか…
一番最初に打ったのが、『モンスターハウス』なんですよ。
初めて親父に連れて行かれて、23連してるんですよね、
その日に2回も(笑)
正直パチンコって簡単だと思いましたもんね(笑)
なんでいつもウチの親父「負けた負けた」っていつも言ってんのかなって。
こんな出んじゃねーかって(笑)
―初代の『モンスターハウス』ですか?
そう。親父がまず3000円のパッキーカード買ってきてくれて、
「これで遊んでろ」って言われたんです。
で、2000円ぐらいで23連して。
でも親父が出てなくて、待ってたらまた23連しちゃって。
これが僕のパチンコの始まりなんですよ。
―すごいヒキですね。
いや僕ね、何でもデビューが凄いんですよ(笑)
その2年後ぐらいにスロットデビューして、初めて打ったのが『大花火』で。
それで僕、8000枚出してますからね。
―デビューといえば、『今夜もドル箱!!』でパチンコ台デビューされましたよね?
でも打ってないですね。
もちろんショールームとかで試し打ちはしましたけど、お店では一回も打ったことないです。
―自分がパチンコ台になるって貴重な体験なのになぜ打たれなかったのですか?
自分の台が出てることが恥ずかしくて。正直、気にはなったんですが、
でも恥ずかしさのあまり、行きつけのパチンコ屋にも行けなかったんですよ。
行ったら行ったで言われるわけですよ。僕の台で3万負けたとか5万負けたとか(笑)
でもパチンコパチスロ好きにとっての夢だと思うんですよね、自分のパチンコ台出すって。そういう面では嬉しかったです。ウチに一台ありますし(笑)
―華やかなパチンコ、パチスロ、そしてパチンコ台デビューをされた内山さんにとって、パチンコとかスロットってなんですか?
一言で言うのはかなり難しいんですけど…
とにかくホール自体が思い出の場所なんですよね、親父との。
僕が子役のお仕事がある時に、親父はパチンコして時間潰してたんで、
仕事終わって親父を迎えに行くのもパチンコ屋でしたし。
子供ながらに親父が帰ってきて、「今日は出た」っていうと嬉しかったな。
親父から貰えるお菓子も(笑)
あと、僕パチンコとかスロットは趣味でやってるんで、
収支はつけないようにしてるんですよね。
―収支をつけて、マイナスになっている時は寂しくなりますよね。
そう。収支をつけてしまったら趣味じゃなくなっちゃうような気がするんですよ。
あくまでも投資というか遊びとしてパチンコ・パチスロをしていたいんです。
変な話、休みの日にどこかに行ったって、必ずお金はかかるわけじゃないですか?
例えば電車賃だ、ガソリン代だとか。
それをいちいち収支つけてます?それと一緒です。
あと僕、負けたことは忘れるようにしてるんです。
もちろん勝ちたくて行ってるけど、負けた時は、遊び行った、もしくはパチンコ屋に
貯金したと考えるようにしています(笑)
―内山さんのように発想を転換することで、負けた時も面白くなりますね。
面白いですね。あと、人柄が見えたり、人間性が見えたりするのも面白い。
人間観察の場としては最高なんじゃないかと思うんですよ、パチンコ屋って。
―人間観察といいますと…?
たまにパチンコ屋に行くと、70とか80過ぎたおじいちゃんやおばあちゃんが、
魚群が出た瞬間に笑顔になるんです。
色んな遊びをしてきて、色んな快感を得てきた人たちが
いまだ魚群を見て笑顔になれるってこれは凄いコトだと思うんですよ。
何万回も見てると思うんだよ、右から左に魚群が出てくるところなんて(笑)
なのに笑顔にさせるパチンコの威力はスゴイ!
―人を笑顔にさせてくれる演出ってありますよね。
僕は今33歳なんですけど、33歳を過ぎたいい大人がそんなガッツポーズで喜ぶことってないと思うんですよ。
滅多に「よしっ!」とか、言わないですよね?
「よし!」とかいいながらガッツポーズするのって、年齢とともに無くなってくるじゃないですか。大人でも無邪気になれる、それがパチンコやスロットにはあると思ってるんですよね。
撮影・名鹿祥史
P-Summa編集部
今回ご協力頂いたのは、『ビッグアップル 秋葉原店』