2017年2月に『CR倖田來未5』がリリースされたのだが、ホールの実状やパチンカーたちの思いとは裏腹に『週刊文春』がパチンコ業界における倖田來未の功績を讃えている。そこで歴代機種を振り返ってみたい。
2017年2月13日に約15000台がリリースされた『CR倖田來未5』。スペックとしては初当たりが全て4Rとなっており確変時の連チャン性能を向上させたワケだが……実際のホールの稼働状況やネットを中心としたパチンカーたちの意見をみてみるとオワコン感が否めないのも事実である。
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【予想的中か】『CRF倖田來未5』が早くも糞台認定か
個人的2017年クソ台大賞候補にノミネートしました「パチンコ倖田來未5」
スペック・通常時・確変時・全てが最低でした。倖田來未さん可哀想。
5連して出玉700発https://t.co/i4jLw6HswH#パチンコ#倖田來未 pic.twitter.com/osCIDqrA6X— ムーン (@gyanblog1) 2017年3月8日
実際にホールで『CR倖田來未5』を遊技したユーザーたちからは「クーちゃんが悪いワケじゃない」という擁護の声がきかれるものの、お世辞にも『CR倖田來未5』は高い評価を得てはいないようだ。
ウケてないけどな。良かったのは2台目まで。3台目で小当りつけたのがまずかった。 ついに5台目が発売 倖田來未はなぜパチンコ業界でウケるのか(文春オンライン) https://t.co/U2NYmPf0fC — タカシ (@high___flyer) 2017年3月7日
芸能人のパチンコ台が出るのは“よくある話”だが、倖田の「5台目」というのは快挙だという。
「今はパチンコ界全体が下降線。一時は雨後の筍のように出てきた芸能人のパチンコ台も小康状態です。もともとパチンコの世界では美川憲一(70)のようなキャラクターが重宝されてきた。一見、不向きと見られた倖田でしたが、最初の台はロイヤリティーが1億円を超えるヒットだったと言われています。ただ、第1弾がヒットしても、せいぜい第3弾で終わり。第5弾まで続く人は少なく、倖田は今では、パチンコ界の『パイオニア』とも呼ばれている。“セクシーな衣装でエロい”という、他にはない個性が男性客の多いパチンコでは大きな魅力になったのだと思います」
『CR倖田來未5』が実際にホールでウケているかどうかはさておき、倖田來未ひとりの名前で5機目が開発されたという実績はパチンコ業界に大きな足跡を残したと讃えられて然るべきだ。
すげ。
倖田來未12万台近く販売してたのか。
それが5で15000台ですよ。
4は浜崎2と同時に販売して両方4万台だったけど、浜崎が役物欠陥により一斉に撤去された←ちなみに伝説のクソ台浜崎あゆみ物語は約7万台売れてますw pic.twitter.com/5tDxOUvhJh
— けんぴ (@ken_ken_dayo0) 2016年12月27日
やっぱり神台とよばれた過去を持つ『倖田來未2』はその販売台数も半端なかったようだ。神台と比較すると『CR倖田來未5』の販売台数は少なく感じるが、昨今のご時世を鑑みると決して少ない数字とも言えず販売台数においてもパチンコ業界に功績を残す台のひとつとなっているようだ。
2007年
『CRフィーバー倖田來未 ~ KODA KUMI 「FEVER LIVE IN HALL」』&『倖田來未 ~ KODA KUMI PACHISLOT LIVE IN HALL』
パチンコ業界における倖田來未の歴史は、2007年7月にSANKYOによって『CRフィーバー倖田來未 ~ KODA KUMI 「FEVER LIVE IN HALL」』がリリースされたことではじまった。特に『you』は本機のために撮影されたオリジナル映像が使用されたことも話題となった。また、パチスロ『倖田來未 ~ KODA KUMI PACHISLOT LIVE IN HALL』も同年にリリースされた。
因みにこの時期のSANKYOは、ヒットを連発していた京楽とは裏腹になかなかヒット作に恵まれず不遇の時代を過ごしていたといわれるが『CRフィーバー倖田來未 ~ KODA KUMI 「FEVER LIVE IN HALL」』がヒットしたことによって再び盛り返すことができたのだという。
2009年
『CRフィーバー倖田來未 LIVE IN HALL Ⅱ』&『倖田來未 ~ KODA KUMI PACHISLOT LIVE IN HALL II』
前作の人気を受けて2009年に『CRフィーバー倖田來未 LIVE IN HALL Ⅱ』が全国のホールに導入された。スペックと演出バランスなど文句のつけようがなかったことから神台としてパチンカーたちから崇められた。
一方、SANKYOUがリリースしたパチスロ『倖田來未 ~ KODA KUMI PACHISLOT LIVE IN HALL II』は、過大な前評判とは裏腹に「マイホ撤去最速」などといった称号を与えられ迅速かつ粛々とホールから姿を消した黒歴史台であった。その後、SANKYOは倖田來未に関してはパチンコ一本槍となる。
2012年
『フィーバー倖田來未III ~Love Romance~』
2012年に『フィーバー倖田來未III ~Love Romance~』がリリースされた。前2作を上回る倖田來未の楽曲が搭載されたのだが「神台」だったといわれた前作を超えることは適わず、大した歴史も刻まずホールからフェイドアウトしていった。
2014年
『CRF倖田來未4 LEGEND LIVE YS』
2014年にリリースされた『CRF倖田來未4 LEGEND LIVE YS』は16楽曲が搭載され、甘デジ、ミドル、ライトミドルの3種類が導入された。実際のホールでの稼働状況はさして長くも短くもないような特筆するような特長がなかったような気もする。
こうして振り返ってみると、やはりパチンコ業界に残した倖田來未の爪痕は大きいという他にないだろう。シリーズが長く続くことはパチンコ業界においても喜ばしいことだが、近年はスペックや演出が迷走してしまっていると感じるパチンカーも多い。
長く愛されるためにも倖田來未の知名度だけに頼るのではなく、メーカーであるSANKYOには開発努力を怠らないで欲しいと思うのである。