【取材】ひげ紳士が自伝を出版!「ひげ紳士の挑戦記」出版までの道のりを聞いてみた

2021/07/29

特集

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    伝説の軌跡が一冊の本に! 幸チャレのひげ紳士さん初の著書『Youtuberホール社長ひげ紳士の挑戦記 ~大衆娯楽を取り戻す!~』、皆さんはもうお読みになりましたでしょうか? 昔からのひげ紳士ファンなら動画が始まってからのことはご存知かもしれませんが、なんとこの本には少年期の思い出からパチンコ業界に入ったきっかけ、一時期業界を離れていたことまで、ひげ紳士さんの半生がギュッと詰め込まれています。その時々の感情が率直に記されていて、読後感はまるで上質なドキュメンタリー映画を観た後のよう。幸・不幸の波が激しく、アドベンチャー映画のようでもあります。

    そんな良書を読んだP-Summa編集部員、もっと突っ込んだ話を聞いてみたいと思い、取材を申し込みました。幸チャレとゲームセンタータンポポ、さらにはYouTubeと、非常に忙しい毎日を送っているひげ紳士さん――オンラインでインタビューできたのは、ある日の幸チャレ閉店後のお時間となってしまいました。お疲れのところ大変恐縮ですが、著書について根掘り葉掘りお尋ねしたいと思います!

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    「ひげ紳士の挑戦記」執筆のきっかけとは?


    ――お久しぶりです! 本日はお忙しい中ありがとうございます。

    ご無沙汰しております。よろしくお願いします。

    ――まずは出版おめでとうございます。大変面白かったです。早速ですが、この本を執筆しようと思ったきっかけは何だったんですか?

    実はこれ、ゲームセンタータンポポの宣伝なんですよ。(笑)

    ――……えっ?

    タンポポをオープンした直後、取材だなんだで出版社の方が多くいらっしゃって、「この店をもっと世間に知ってほしい」という話をしていたんです。そうしたらある日、辰巳出版の方が「自伝を出してみませんか」と。

    ――ひげ紳士さん自身が自伝を書きたかったわけではなく、出版社からの提案で、自伝という形で宣伝を試みた……という感じですか?

    そうなんです。お話をいただいてから一ヶ月ぐらいで出版が決まり、すぐに執筆が始まりました。

    ――まさかそんな狙いだったとは……。でも、おかげでファンはこの本を読めるわけですし、宣伝にもなったならwin-winですね!

    執筆中のエピソード


    ――執筆にはどんなツールを使われたんですか?

    本文はWordですけど、大項目・中項目はコピーの裏紙に手書きしていました。原稿用紙を使うのはなんか気恥ずかしくて……。

    ――恥ずかしい……?

    文章に関してはまったくの素人ですからね! なのに書いていると周りの人間から「先生! 先生!」なんて冷やかされたりして……(笑)。そもそも大項目だとか中項目だとかも出版社の方に教えていただきながら書きました。

    ――ほかに書いていて苦労したことはありますか?

    元々、昔の記憶をたどるのがあまり得意ではないんです。幼少期のこととか、最初は全然思い出せなくて……。実家は福岡なんですが、思い出すために日帰りで行ってきましたね。

    ――日帰りで福岡……多忙過ぎる……!

    両親とも健在なので、話を聞いたり昔の写真を見たりしているうちに、だんだんと記憶が蘇ってきました。

    ――では、書いていて楽しかったことは?

    両親の他にも古い友人やかつての同僚・先輩・後輩に連絡を取りまして、色々と話をできたのは楽しかったですね。

    ――ちなみに、収録したくてもできなかったエピソードはありますか?

    第1章で「恩師」の話を結構書きましたけど、恩師の他にもお世話になった方は大勢いらっしゃいます。ページ数の都合で収録できなかったのは残念ですね。恩師の実名を出したかったというのもあります。あとは、ちょっと表には出せないエピソードも色々あったり……。

    ――(オフレコで聴いて)なるほど、それは書きにくいですね(笑)。でも、何と言うか昭和の人情が伝わってくるエピソードです。そのあたり全部暴露した第二弾の構想とかはないんでしょうか?

    うーん、僕自身の話はもうこれで終わりでいいんじゃないでしょうか。タンポポのメンバーとか幸チャレのPにフォーカスした本ならあっていいかもしれませんけどね。でも、自伝を書くことはいいことだなと思いました。四苦八苦しましたけど楽しかったです。

    ――表紙のデザインは出版社の方と相談しながら決めたんでしょうか?

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    そうですね。ただ、実はちょっと納得いっていないところもあるんです。時間切れになってしまって……。

    ――えっ? 素敵なデザインだと思いますが……。

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    一つは裏表紙ですね。あまり「レトロ」にフォーカスしたくなかったんです。あとがきにも書きましたが、僕がやりたいのは“新しい遊び”の提案であって、レトロ台にばかりこだわっているわけではないんですよ。それともう一つ、タイトルももっと練りたかったです。僕のことをご存知の方にはわかりやすいタイトルですけど、ご存知でない方にも手に取ってもらえるようにしたかったですね。

    「ひげ紳士の挑戦記」出版後の反響


    ――出版後の反響についてお聞かせください。

    ありがたいことに、想定していたより反響がありました。Amazonの売れ筋ランキングですぐ1位になって、それが2週間ぐらい続いたでしょうか。幸チャレの店頭にも景品として置いているんですが、大勢の方が交換してくださいまして、100部あったのが半月で捌けました。出版社の方も「ファンブックがこんなに売れることは滅多にないです」と驚いていましたね。

    ――すごい……!

    でも、部数を伸ばすには本屋さん(実店舗)に置いていただくのが一番いいんです。今は電子で買う方も増えているみたいですけど、全国の本屋さんに三冊ずつ置かれたら相当売れますからね。

    ――出版不況なんて言われていますけど、なんだかんだでまだ紙は強いんですね。

    ですから、これから買われる方は、もちろんAmazon取り寄せや電子書籍でもいいんですけど、お近くの書店に問い合わせていただけたら嬉しいです。「ひげ紳士の本ないんですか?」って問い合わせが増えれば、今後増版になるかもしれません(笑)。

    「ひげ紳士の挑戦記」のエピソードで気になったことを聞いてみた


    ――「ひげ紳士の挑戦記」を読んで、いくつか気になったことがあるんですけど、聞いて大丈夫でしょうか?

    どうぞどうぞ。

    ――ありがとうございます! まず、ホールに通い始めた当時、パチンコの知識はどうやって得ていたんですか?

    主に雑誌ですね。当時はコンビニもありませんでしたから、町の本屋さんでパチンコ雑誌を買って、熟読していました。あと、友達や先輩に異常な知識を持っている人がいて、彼らからも教わりましたね。

    ――インターネットがない時代ならではですね。

    知識は貪欲に仕入れていたので、ホールに就業した当初は重宝されました。何しろ各機種の細かい確率も全部覚えていましたから。それで、上の人に目をかけてもらって仕事のやり方を色々教わりました。

    ――メンテナンスに「板ゲージは使わない」と書かれていましたが、その理由とは?

    もともと板ゲージというものは存在してなくて、昔は玉ゲージだけだったんです。板は邪道……というのもありますが、精度の面からも玉ゲージに劣るんです。板ゲージって釘の“手前”を測るんですが、実際に玉が通るのは“奥”です。玉が通るところを直接測れる玉ゲージのほうが正確なんですよ。その分、かかり具合を感じて調整しないといけないので、技術と経験は求められますけどね。

    ――収録されたエピソードの中で、ホールの部長さんが新台入替のプレッシャーに負けて出勤できなかったというものがありましたが、当時の新台入替って今と違ったんですか?

    何もかもが違いますね。今ってだいたいどこのお店も似たようなラインナップになりますけど、当時はホールごとに特色がありました。それに、頻度と規模も違います。当時、新台入替は年に4回程度で、総設置台数200台のホールなら100台ぐらいをゴッソリ入れ替えるんです。

    ――今は数十台でも大規模な入替って感じがしますけど、昔の「新台入替」は今よりずっとレアで、特別感のあるイベントだったんですね。

    ですから、絶対に失敗できないんです。とにかくプレッシャーが凄いんですよ。失敗したら「終わり」ですからね。挽回の余地はありません。

    ――……(冷や汗)。

    なので、メーカーの営業マンとの付き合いも大事にしてました。ホールの数が多かったこともあり、昔のほうが今よりもメーカーの立場が強かった気がします。

    ――恩人である社長さんの下で、異業種の方と交流を持ったとのことでしたが、どんな業種との交流が印象に残っていますか?

    当時のホール経営って今と何もかも違ったんですよ。理念も何もなくて、どんぶり勘定が当たり前でした。まだ「企業」と呼べるものになっていく過渡期にいたんです。僕自身もずっとパチンコのことしか知りませんでしたから、特にどの業種ということはなく、学ぶことばかりでした。

    経営って「好き」だけでやれるものじゃないんですよね。たくさんのことを知って、色んなことを考え続けないといけない。異業種と交流しながら経営を学んだことで自信ができて、後の冠婚葬祭業での独立にも繋がりました。まぁ、それは上手くいかなかったわけですが……。当時知り合って、未だに交流が続いている方もたくさんいますし、得るものは多かったですね。

    幸チャレ経営、タンポポ開業、自伝出版……ひげ紳士が次にやりたいことは?


    ――最後に今後の展望についてお聞かせください。

    基本的には、あとがきに書いた通り、パチンコという大衆娯楽を末永く残すことが僕の行動原理です。そのためにはいろんな方法があって、ゲームセンタータンポポも一つの形です。4号営業ではできなくても5号営業なら可能なことがたくさんありますからね。

    今のパチンコって、いかに勝つかっていうところにフォーカスし過ぎていると思います。もはや「遊び」でなくなってしまっていると思うんですよ。無心で遊べるのが本来のパチンコのはずなのに、今はわざわざホールに行ってストレスを溜め込む方が大勢います。勝ち負けとは関係なく、純粋に娯楽として楽しめるパチンコを取り戻したいんです。

    ――確かに、新台の評判をネットでよく見るんですが、勝った負けたとか、こうすれば期待値が取れるみたいな話ばかりで、娯楽として楽しめている人はどんどん減っていると感じます。

    先ほども言った通り、レトロ台にこだわりはなくて、タンポポに置いてある台より後の世代の台を集めた「ひげの店」3号店もつくりたいと思っています。最新台を置いてもいいかもしれませんね。パチスロ4~5号機あたりから最新台まで、定額で遊び放題のパチンコ・パチスロゲームセンター……みたいな。

    ――いいですね! 最新台を遊び放題なら、一般ユーザー向けのショールームっぽくなりそうです。ゲーセンで打って面白かったから今度はホールで打ってみよう……っていう流れもあり得ますよね。

    近年、遊技人口は減り続けているようですが、僕には「パチンコから去ってほしくない」という思いがあります。日本にはこういう遊びがあるってことをみんなに忘れないでほしいんですよ。タンポポの開業もパチンコが忘れられていくのを食い止めるのに貢献できていると思っています。

    ――ひげ紳士さんのおかげで、あの頃のパチンコを思い出したっていう人も大勢いると思います。3号店も楽しみにしています! 本日はお忙しい中ありがとうございました!

     

    いつでも笑顔を絶やさず、たくさんの仲間やファンに愛されているひげ紳士さんですが、「ひげ紳士の挑戦記」を読むと、実は周りから「怖い」と思われていたであろう時期が結構長かったことがわかります。そんな過去があっての今なんだな……と思うと、動画の視聴が一層感慨深いものになると思いました。未読の方はぜひ、チェックしてみてください!

    P-Summa編集部

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