【取材】遊技機のルーツを探る!パチンコ博物館で過去の名機にふれてみた

2019/04/26

特集

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    春らしい陽気になってきましたね! パチンコ業界も継続率65%規制と賞球制限の撤廃が行われ、厳しい冬の時代を脱しつつあるのでは……と思います(願望も込めて)。
    今年に入ってからスロゲーセンへの取材を重ねて、古いパチスロ機への思い入れが強くなってきたP-Summa編集部員、今度は昔のパチンコ機やその歴史に興味が湧いてきました。
    新年号を迎えるまえに、昭和~平成のパチンコについて、知っておきたい……ってことで、ネットで調べてみると、なにやら「パチンコ博物館」なんてアカデミックなものがあるではないですか!
    事前に館長の牧野さんに解説をお願いしたところ、快くOK! ありがとうございます!

    パチンコ博物館は、埼玉県さいたま市のホール「ガーデン北戸田」の2Fにあります。壁一面にずらりと並んだ貴重なパチンコ機の数々! 牧野さんに解説していただきながら、じっくり見ていきましょう!

    戦前~戦後の元祖「パチンコ」

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    これがパチンコの原点!? なんと、昭和初期には釘すらなかったようです。黄色か赤に入れば当たり、白はハズレで、どこにも入らなければ打ち直し。縁日とか夏休みの工作という感じですね。

    釘が登場したのは、昭和10年頃から。と言っても、決まった穴に入れば当たりというシンプルさは変わりません。賞球は2~4個程度で、バラのタバコやお菓子目当てで打つ人が大半だったそうです。この頃は子供でもパチンコで遊べたんですね。

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    そして、戦後の昭和23~24年頃、パチンコ界に大発明が生まれます。名古屋でホールを経営していた正村竹一さんが正村ゲージを考案! それまで単調だった玉の動きが劇的に面白くなりました。正村さんは「みんなで使えばいい」と考え、特許を申請しなかったのだとか。信じがたい寛容さに脱帽です……!

    正村ゲージの登場と賞球数アップ(10~20)によって、遊びの質も大きく変化。この頃から18歳未満は遊技禁止になります。

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    当時、盤面はブリキやセルロイドの単色。少しでも見た目を賑やかにしようと考えられたのがこちらの「ハッタリ」。役物ではなくただの飾り、本当にハッタリです(笑)。

    ちなみに当時のパチンコメーカーは3〜4人程度の小規模なものがほとんど。後の有名メーカーの創業者の多くは、この頃から個人で製作に携わっていたそうです。

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    従来は1発ずつ手で玉を入れて打っていたのが、昭和27年頃、連射可能になったことでパチンコは一大ブームに! 全国になんと約45000軒ものパチンコ店ができたのだとか。しかし、慣れれば1分間で150〜160発も打ち出せる仕様だったため、投資スピードが速く、生活に支障をきたす人が続出して社会問題化。昭和30年までに連発式は順次規制がかかり、全国のパチンコ店は一気に8000軒程度にまで減ったそうです。こんなに浮き沈みの激しい業界って他にあるでしょうか……。

    役物やチューリップが誕生!

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    昭和32年頃には、初めてセンター役物が登場。『ジンミット』という機種などが人気を博しました。さらに昭和35年頃にチューリップが登場。これらは台のメーカーではなく、部品メーカーの発明だったのだとか。

    昭和44年には、1分間100発を上限として連発式の規制が解除されましたが、当時の技術で正確に100発以内に収めるのは至難の業。そんな中、京楽はパルス発生器の制御によって、正確な分速100発を可能にしたそうです。そのうちの一つが、『100ダッシュ太陽号』、時代を感じさせるネーミングですね。

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    最初は中央下部に一つだけだったチューリップはだんだんと数が増え、連動も多彩に。昭和46年に西陣がリリースした『パワーローリング』という機種は、センターに入賞するとすべてのチューリップが一斉に開くという派手さで一世を風靡したそうです。

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    今では当たり前となった電動ハンドルは昭和48年頃に登場。ところが、当初は総スカンを食らったのだとか。手打ちに慣れていた多くの人は「こんなものはパチンコじゃない」と感じたんですね。しかし、昭和52年頃にはすっかり普及し、昭和58年には手打ち式は、製作中止になったとのこと。

    2015年に手打ち式を復活させたA-gonを取材した際、「ユーザーには疲れると言われてしまった」というお話を伺いましたが、実際疲れますからね……。より楽なほうへ流れていくのは人間の性なのでしょうか。でも、手打ち式には手打ち式の良さがあると思います!

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    昭和52年には、ついに液晶搭載マシンが登場!?
    と、思いきや、これは演出用の液晶ではなく、ただのテレビ! 録画が普及していなかった当時、相撲や野球など人気番組の時間になるとホールからお客さんが帰ってしまう為、ホールで見られるようにしようと考案されたのがこのテレビ付きパチンコなのだとか。
    昔ながらの無茶っぷり、嫌いじゃないです(笑)。しかし、お客さんからは「パチンコに集中できない」と不評。わずか数ヶ月で廃れてしまったそうです。

    フィーバー機・羽根物・権利物の登場!

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    フィーバー機(セブン機)は昭和55年に認可され、翌年には記念すべき第1号『フィーバー』がSANKYOによって開発されました。
    ちなみにこの施設、機種の展示だけでなく、巨大な年表パネルも設置されており、パチンコの歴史が事細かく記載されています!

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    このパネルを全部見れば、パチンコ博士になれるんじゃ……!?ってくらいの情報量です。各時代を彩る歴史的な名機は、写真付きで解説されているのも面白いポイント!

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    機種展示に戻って、昭和56年、平和が『ゼロタイガー』をリリース。羽根物の登場です。下の入賞口に玉が入るとゼロ戦の翼が開き、中央のVに入ると連続で解放。この機種は全国で40~50万台も導入され、牧野さんも相当打ち込んだのだとか。
    羽根物の「羽根」は、もともと飛行機の羽根(翼)という意味で、当時は「ヒコーキ」とも呼ばれていたとのこと。羽根物という名称のルーツは、ここにあったんですね!

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    一方こちらは京楽の羽根物『スーパーワンダー』。羽根の解放時間が『ゼロタイガー』より短い代わりに、V入賞率が高く、連続解放に期待できる仕様です。

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    京楽が昭和57年にリリースした権利物『コスモアルファ』。センター役物内でV入賞(権利獲得)すると、役物下部の始動口が解放。ここに入賞すると左右のチューリップが6秒間開いて、落ちてきた玉を拾ってくれます。

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    こちらは昭和57年の『ニューフィーバー』。ドラムとセグがすべて7で揃うとアタッカーが30秒間解放されます。当時のアタッカーは今と違って入賞個数の制限がなかったため、わずか5分で4000発ぐらい出ることもあったのだとか。また、目押し可能なせいで、攻略されてしまった機種も多数あったとのこと。いろいろと凄い時代です。
    フィーバー機は登場時、急速に人気を得ましたが、入賞個数制限なしのアタッカーによる強力な出玉性能は規制され、ホールにおける設置比率は3割未満という自主規制も設けられたそうです。今で言う、高射幸性パチスロ機の設置比率みたいなもんでしょうか。

    昭和60年からは保通協の型式検査が実施されるようになり、、新台の検定が全国一律になりました。それまでは基準が都道府県ごとにバラバラで、同一の機種でも地域によってスペックが違ったそうです。現在も取材・来店イベント規制の厳しさに地域差がありますが、当時は今以上のカオスだったんですね……!

    最近のホールではスマホを見ながら打っている人を見かけますが、当時は「盤面以外のものを見ている場合じゃなかった」と牧野さんは語ります。かつてテレビ付きパチンコが普及しなかったという事実にもあらわれていますが、昔のお客さんは玉の動きを真剣に目で追っていたんですね。

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    平和が昭和61年にリリースした『ビッグシューター』は貯留型羽根物の元祖。通常時は回転するローターを突破しないとV入賞しませんが、大当たり中はローターが正面で静止し、役物内に貯留した玉によって後から来た玉がV入賞しやすくなるそうです。

    パチンコはデジタルの時代へ

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    やがて、出玉を増やす画期的な発明が生まれます。

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    それがこのおまけ付き! アタッカーの蓋が横に開くことで、左右下にある入賞口に玉が入りやすくなるという仕組みです。アタッカー+入賞口分の出玉で、1回あたりの大当たり性能が格段に上がったのだとか。フィーバー機で初めて採用されたのは昭和62年、平和の『レーザースペーシー』ですが、実は先に豊丸が羽根物で発明したものだそうです。※画像は『レーザースペーシー7』。

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    昭和62年、マルホンが『スリープパート3』で初めてリーチアクションを搭載。リーチがかかると中央の回転がゆっくりになるだけというシンプルなものですが、当時としては画期的だったのだとか。

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    昭和63年、大一商会の『ニュービッグセブンPart4』はドットマトリックスによる図柄表示を採用。パチスロのように上から図柄が降ってくる演出はこの機種が初で、当選時に「ヤッタネ!大当たり」という文字が流れるのも大いにウケたそうです。

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    そして、時代はいよいよ平成へ! 西陣の『ファンキーセブン』は初めてワープルート(ステージ)を搭載。さらに……。

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    SANKYOの『フィーバーレクサスⅤ』は史上初のステッピングモーターを採用。ドラム式セブン機のリーチアクションはこの時誕生しました。

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    平成2年、京楽の『ニュートランプカード2』で初のロングリーチが登場。その信頼度は正真正銘の激アツだったのだとか! 後のスーパーリーチの元祖と言えます。

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    平成3年には平和の『麻雀物語』が初のフルカラー液晶を採用! 昭和の終わりから平成にかけて、現在のパチンコに繋がる技術の原型が次々登場していたんですね。

    なお、出玉を増やす「おまけ付き」は平成2年に禁止されましたが、その代わりに大当たりのラウンド数が規制緩和。1回の大当たりでMAX2400発獲得できる仕様は、この時できたそうです。

    そしてCR機へ…

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    平成4年、プリペイドカードと遊技機を一体化したCR機が登場。ところが、導入コストが高くつくということで、当初はホールから歓迎されなかったそうです。そこで、行政はCR機を普及させるため、「確率変動2回ループ」と「3段階の設定搭載」をCR機限定で容認したのだとか。ややゴリ押しの感は否めませんが、この後既存のパチンコは順次撤去され、CR機が台頭していきます。

    平成5年に西陣がリリースした『CR花満開』は3段階の設定付き。確変に入りにくい代わりに、一度入ると継続率が高い爆裂スペックだそうです。

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    平成6年、平和が『CR黄門ちゃま2』をリリース。特定図柄で大当たりすると確変となり、2回の大当たりでまた特定図柄を引き当てればそこから再び2回ループ。しかも、確変中は現在でいうところの電サポのように、ミニアタッカーの開閉によって玉が減りにくくなる仕様。圧倒的な爆発力で絶大な人気を誇ったといいます。

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    平成7年、三洋物産が『CRギンギラパラダイス』をリリース。パチンコ史上初、図柄が横に回転するマシンで、言わずと知れた「海物語」の元祖です。ここでマリンちゃんも登場するわけですが、盤面が今の海と違ってシブい……!

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    平成10年、平和の『ルパン三世K』が大ヒット。アニメや芸能人とのタイアップはこの頃から始まったそうです。ここまで来ると今のパチンコとあまり変わらない感じがしますね。

    と、ここまで遊技機の歴史を振り返ってまいりましたが、この取材の締めくくりとして、牧野さんにパチンコ博物館誕生の経緯とパチンコ業界の今後について、伺いました。

    パチンコ博物館誕生秘話

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    牧野さんは元々パチンコ機のコレクターで、平成10年にパチンコの歴史を書いた「特選パチンコ絶版名樹大図鑑」を自費出版されたそうです。パチンコの正しい歴史を書いた文献が当時存在しなかったのだとか。

    この本が全日遊連の広報誌、さらに読売新聞で紹介されたことで、「パーラーWAKO」の目にとまります。牧野さんのコレクションは平成11年にオープンした「パーラーWAKO鹿嶋店」の展示コーナーに使用され、さらに翌年には「パーラーWAKOガーデン上永谷店」及び、「パーラーWAKOガーデン八千代店」にも展示されました。

    平成16年には、台東区東上野にワンフロア約150台所蔵の「パチンコ博物館」を開設。全国初の本格的パチンコ歴史資料公開施設として注目を集めました。平成23年、東日本大震災の影響もあっていったん閉鎖を余儀なくされたものの、翌年に千葉県旭市で復活。そして、平成28年にオープンしたのが、本日見学させていただいた新館です。

    この新館から運営がガーデングループとなり、遊技機の歴史やパチンコ本来の面白さをより多くの人に伝えるため、精力的な活動を続けています。定期的に更新される公式インスタグラムもその活動の一環で、ときにはインスタ映え!?するような画像がアップされることも!

     

    最後に、牧野さんは今後のパチンコについて、「ゲーム性が広がってほしい」とおっしゃっていました。

    改めてパチンコの歴史を振り返ってみると、手打ち式からハンドル式になり、羽根物・権利物からデジパチになり、連チャンの抽選がアナログからデジタルになり……と、誰が打ってもほとんど同じ結果になるような流れになっていますよね。「不平等な機械があってもいい」とは牧野さんの言葉。確かに、まっとうな技術介入は遊技の前提となっている事柄ですから、打ち手の技量で差がつく機種はもっとあっても良さそうなものです。

     

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    ちなみに、館内には昭和のレトロパチンコと、少し前のCR機が試打できるコーナーもございます! 「パチンコ博物館」の営業時間は、10:00~18:00(定休日:不定期)で誰でも無料で入場可。

    場所は「ガーデン北戸田」の2Fなので、埼玉県にお越しの際には、立ち寄ってみてはいかがでしょうか? パチンコの歴史にふれることで、新たな発見があるかもしれません。

    P-Summa編集部

    ※一部掲載画像は「パチンコ博物館所蔵」のため、転載は禁止となります。

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